栗團治は落語界にいられなくなり、滋賀県は大津で漫談をはじめたのだった。

上方落語界からは籍を抜いている。しかし師匠からは破門を言い渡されておらず、彼はそのまま甘味亭栗團治を名のり漫談家として活躍した。

落語家としての活動は15年。漫談家に転じてから7年は大津のステージに立ち続けた。

しかし彼が42才の夏に突然失踪した。明日早いねん。とだけ言葉を残して。

上方落語界で大名跡と呼んでおかしくない「甘味亭栗團治」を乱暴にも大阪から持ち去り、漫談家でありながら手放そうとはしない。これは恨まれて当然である。

大阪から栗ノ介という弟子が包丁を片手に乗り込んできたことがある。幸いにも未遂だった。

栗團治は自ら騒ぎを治めたあと、慣れた手つきで包丁を研いで鯉のあらいを栗ノ介に振る舞い、電車賃を持たせて夜には大阪に返した。

これほどの人間が何故落語界にいられなくなり、またそれでいて師匠からの破門を受けなかったのか。

 

栗團治の言葉を思い出した、今はなき大津パワーホールの楽屋の壁にあった一筆の落書き。

気さくそうに見え犯人は笑みに嘘くさき

回文は彼の特技の一つだった。