まるで天狗にでもなったかのように
その頃の遊びといえばコマだったりチャンバラだったり、相撲とってるガキもいた。大人たちはよくわかんない札を並べて小遣いあっちやったりこっちやったり、酒飲んでくだらない話して一日過ごしているようなのが多かった。
何より小さな部落はこれと言ってやることがなく、仕事だって現代のような働くなんて感覚はなくて、仕事も遊びもただの生活だったような気がする。
そんなただただ生活でしかなかった毎日に新たな風が吹いたのは私が10才の頃。
東京からの旅人がこの近くのボロ宿に長逗留をしていたことがあった。
近所のガキがその旅人から飴をもらったという噂が広まると、私も含めた多くの鼻たらしが宿の周りを取り囲んで遊ぶようになっていた。酷いのになると旅人が居るであろう部屋の窓に石を投げつける奴までいた。
もちろん宿の親父は黙っちゃいない。薪雑把片手に駆けだすと悪ガキたちを追い散らす日々がしばらく続いた。
私も例に漏れず宿の前で遊ぶようにしていた。断っておくが飴が欲しかった訳ではない。旅人に興味があった。
来る日も来る日も学校が終われば宿の前に集まっていた。コマやったりチャンバラやったり相撲やったり、最後は泥んこ遊びで服を汚しては母親に頭叩かれて泣いていたのを思い出す。
それでもなかなか旅人は顔も見せてくれない。
飴なんかもらえねえよ。そう言って去っていくガキ大将に付いていく子もいた。
一人減り二人減り、どんどんいなくなって気づけば私とあと数人。
宿の中で死んでるんじゃないのか。誰かが言った。
そのとき、二階の一室の窓がガラッと開いて眼光鋭い男がこっちを睨んだ。
私は怖くて足が震えていた。目の焦点が合わず、泣いていたかもしれない。
じっとこっちを見ているその顔は鼻の短い天狗みたいだった。
右手の煙管を口元へ運ぶ。その仕草が堅気じゃないことぐらい子供でも分かった。
「この辺に広場はあるかい」
「…」
誰も何も答えない。
男が目を細める。持っていた煙管で西日の方向を指した。
「あそこに大きな一本杉があるだろう」
私は何を聞かれているのかよくわからなかった。
「明日学校が終わったらあそこに来なさい」
「あそこはあぶねえから入っちゃいけねえって父ちゃん言ってた…」
友達の六助が全身を振り絞るように答えた。
「どうして危ねえんだい」
「天狗様がいるからって…」
男の眼光は鋭さを増した。顔は激しく怒鳴り散らす寸前のそれだった。
ところが表情がにこりと緩むとそのあとフフッと笑った。
「天狗なんざぁ怖くねえよ」
煙管の雁首を器用に窓枠に引っ掛けた。
ガラガラガラという音とともに男の姿は見えなくなった。
「ありゃあ天狗様だ」
「でもあんなに鼻の短え天狗はおるだろうか」
「きっと一本杉の前で本性を現すに違えねえ」
「じゃあ何だい、六助はもう帰っちまうのかい」
「いやそうじゃねえ、おらんとこの家の前で遊ぼうって話してんだ」
「おらは行くぞ、一本杉」
「本物の天狗様だったらどうする」
「それでもいいんだ、六助は根性無しだな」
下校中、私は六助を振り切るように駆けだした。
通学路を外れて近道と呼ばれる畦道に入った。
立ち止まらないように、引き返さないように一歩一歩強く踏みしめた。
一本杉の前まで来ると汗だくの体にさわやかな風が吹きあたった。
恐怖心はあったがそれ以上に期待が込み上げていた。
私は旅人がこの村に来たことで何かが変わっていく気がしていた。
一本杉の木蔭には30人程の大人が集まっていた。
普段あそこには入っちゃいけない、なんて言っていた大人たちがいる。
車座になってその真ん中に昨日の天狗、いや旅人が座っていた。
毛氈を敷いた上に羽織姿の旅人が正座をしている。
私も大人の背中に隠れて座った。
旅人の話は古今東西ありとあらゆる分野に至るもので、私はその話しぶりに完全に引き込まれていた。不思議で不埒で下世話で、それでいて面白い。
こんなに面白い話を聞いたのは初めてだった。時間も忘れて笑っていた。
この辺でお開きにしましょう。旅人がそう言ったころには、誰の顔も判別がつかないぐらい真っ暗闇だった。
翌日、学校に着くなり六助がこっち向かって飛んできた。
「一本杉の天狗どうだった」
私は見たこと聞いたことを思い出せる限り六助に話した。
私の拙い喋りがどこまで伝わったのかはわからないが、六助は笑い転げていた。
それから六助は何度もその話をせがんできた。
あの日一本杉の木蔭で聞いた話は木蔭話と呼ばれるようになった。
木蔭話は学校中に広まり私の周りには多くの鼻たらしが集まるようになっていた。
「なあ木蔭話してくれよ」
「では馬鹿馬鹿しいのを一つ…」
今日も一本杉には多くの人が集まっている。
不思議で不埒で下世話な話を偉そうに語って聞かせる。
まるで天狗にでもなったかのように。
それでも群衆は笑っていた。
【木蔭話】より抜粋